5Mの挑戦者

「無謀・無茶・無理・無知・無能」の5Mの人が、こそこそ活動するだけのブログ

「生きる事」がくだらなく感じてしまう自分がいる。

本能で生きる動物、ダイナです。
私は良く、生きても死んでも一緒だなと感じます。
生きていれば、生きている間に起こる物事を体験する事が出来、死んでしまえば「無」になるだけと思っています。


一緒と感じるというよりは、どっちでも良いみたいな心情でしょうか?
「守るべきものも、確たる目的も無く、死ねばそれまでの人生だった」というような生き方をしているからかもしれません。
悔いが残らない生き方を選択した際の副作用みたいなものかもしれません。


おそらくこの先に、私の人生を大きく変えてしまう事があれば、新たな目的が出来上がるかも知れません。
しかし、現状の私には、そのような事が起こっていないが為に、今のままで人生が終わってしまっても、悔いのない人生だったと言えそうです。
私は、多くを望まない生き方を強制されて生きていた為に、欲望が弱いんですよね。


欲望は、人間が生きるための原動力です。
お金持ちになりたい。結婚したい。車が欲しい。
上記のような欲が人間を、頑張ろうとさせるのです。


ですが私の欲望は少し違います。
私の根本的な欲は、寝たい。のんびり生きたい。強力な束縛をされたくないなのです。
ようするに、現時点で何もしない事が、私の欲を叶える方法なのですwww。


何もしない事は、悪い意味で言うなら、死んでいるも同然なのです。
私は、生きた屍なのです。生きていけなくなれば本物の屍になるだけです。
この精神状態こそが、生きても死んでも同じと感じさせる原因なのかも知れません。


ですから、私の数少ない趣味を楽しむために生きようとしています。
原動力となる欲が弱い以上、楽しく生きる事が私の生きる原動力になります。
最終的には、楽しければなんでも良いみたいな生き方になってしまうと思われます。


実に刹那的な生き方だと私も思います。
ですが仕方がないのです。私には本能でしかこの世を生きる意味がありません。
あれが欲しい。こうしたいという欲求が弱い以上、仕方がないのです。


皆様も自分の欲求を叶えるために生きていると思われます。
何も目的がありませんと、遅かれ早かれ私のような生きた屍になってしまいます。
ただ、本能で生きるだけの動物と同じ人生を歩むことになります。


いえ、子孫を残そうとする動物に比べて、劣っているのかも知れません。
奴らは、その為だけに生きていると言っても過言ではありません。
奴らにとっては、子孫繁栄こそが絶対的な使命だとDNAに強く刻み込まれているのかも知れません。


そのように考えれば「生きた屍」という表現は素晴らしい表現かも知れません。
死んだものと同じという意味合いですからね。なんか納得できました。
ですが、人間も子孫繁栄こそが絶対的な使命だとDNAに強く刻み込まれているです。


なにか、その人にとって大きな出来事があれば、考え方が変わるかも知れません。
この世界には、何が正しい考え方という事はありません。考えはその時の状況で変わります。
ですがこの世界では、生きる事が大前提で物事がスタートします。
その事を思いますと、生きる事を考える事が正しい考えとなのかも知れません。


何故か、哲学的な何かを書いてしまいました。病んでいるのでしょうか?
そんな訳で、今回はここまでします。
ここまで読んで頂きましてありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。