5Mの挑戦者

「無謀・無茶・無理・無知・無能」の5Mの人が、こそこそ活動するだけのブログ

「努力している」と感じている時程、辛い事は無い

努力嫌いのモンスター、ダイナです。
「努力する事」を崇拝する方々とは、完全に相対する存在です。
私は、「努力」「根性」「気合い」という言葉が大嫌いな人間でございます。


いえ、嫌いというよりは上記3つの事を強制されたくないというべきでしょうか?
そもそも「努力」「根性」「気合い」という言葉は、元々私自信も崇拝していた言葉です。
今では、自分自身の中で嫌いな言葉ワースト3になってしまいましたが、それでも必要と感じる時が、たまにあります。



「根性」は無理をする時に必要となる根気。
「気合い」はやる気を出すときに使う根気。
「努力」は嫌な事(面倒な事)をする時に使う根気。だと私は解釈しています。


つまりどの言葉も、嫌な事(面倒な事)をしている時に発している言葉なのです。
特に「努力」「根性」「気合い」を他人に言う時は、自分も嫌で嫌で仕方がないのです。
正直な所、「根性」も「気合い」も好きな事をしている時は、勝手に出てきますからね。


そして、「努力している」という言葉を使う時は、必ず嫌な事(面倒な事)をしている時です。
「努力」は本来ならば、他人に言われて初めて実感できると思っております。
それを別の言葉で言うならば「達成感」という言葉で表されます。


もし、好きな事をしているはずなのに「努力をしている」と感じる場合は、本当に好きな事ではありません。
本当に好きならば、「努力している」という感情がよぎりません。
「何をどうすればいいのか?」という事ばかり考えています。出来たら「達成感」を得ています。


私は、「根性」「気合い」を押し付ける人間は苦手です。
「努力しろ」と相手に強制してくる人間は苦手です。
身近にそういう人間がいたら、私とは絶対に話は合わないでしょう。


とはいえ、嫌な事(面倒な事)は、生きていれば絶対に発生すると思っております。
仕事となれば、毎日、嫌な事(面倒な事)と向き合う必要があるかも知れません。
だからと言って、他人に強要するのもまた違う気がします。


大体は、自分のしている仕事自体が嫌いな人がこのような言葉を発します。
俺も「嫌々やっているんだからお前もやれ!!」という、一種の愚痴にも似た感情になるのではないでしょうか?
仕事自体が嫌いならば転職すればいいと思うのですが、人それぞれ事情があるのかもしれません。


今の世の中不景気ですからね。転職するなんてのはかなりのリスクを伴います。
そんなリスクを背負うくらいならば、嫌な仕事でも我慢して働いた方がいいという選択をしたのだと思います。
その選択した理由が、家族を養うためというならば男性として立派な人だと思えるんですがね。


その上、他人に「嫌々やっている」という感情を見せなければ、誰が見てもかっこ良く見えると思います。
家族にはボロクソ愚痴っても結構ですが、他人には、あまり「努力しろ」「努力している」と言わない方がいいかも知れません。
仕事は出来たとしても、周りには評価されなくなってしまうからです。


大抵の人は、皆それなりに努力はしています。
その上で更に「努力しろ」と言われると、人はかなり士気が下がってしまいます。
単純に、要領が掴めていないだけかも知れませんから。


私なんて要領が悪い方だから、最初の頃はよく「怠けている」「努力しろ」と言われました。
仕事を裁く要領が悪いから、仕事も遅くなりがちだったんですよね。
良く言えばマイペースと言われ、悪く言えば自分勝手。単純に、無能だから遅いだけだよ(激おこプンプン〇)


話が脱線しましたが、これが私の通常運行です(苦笑)
とりあえず、何が言いたいかと申しますと、「努力している」人ほど、向いていない事をしている可能性が高いという事です。
それが、仕事や趣味であるならば、自分にとって致命的な選択ミスだと思います。


「努力している」と感じない物事こそが、癒しになりストレス発散になり、天職となる可能性もあります。
私はそのように考えておりますので、出来る限り「努力している」と感じていない道を選んでおります。


今回はここまでにします。
ここまで読んで頂きましてありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。